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歩こう会の皆さんには無関係な福井大4回卒72歳の初老です。65歳ころら、仕事にパソコンを利用しています。城下町の縄入れの手法をライフワークにしているので、ここで発見した江戸時代の物差しを披露します。大概の江戸期の研究をみると、道程の間の長さを明治時代になってメートル法条約に加入して制定した3.3尺=1.00mで良いことにしていますが。実際絵図の記入寸法と比較すると、道程の間長さは6.50京枡尺=1.948mです
この長さはフランスの地球観測に使った1トワズ=1.950m略s同じ長さになります。日本地図を造った伊能忠敬は幕府の依頼で測量しているからこの道程の間を測量尺にしているとおもわれます。この間長さは3歩測の長さです。長さの管理は3.10mの円石にまいた糸の長さが道程の五間長さになっています。1里塚の間隔は道程の間で2160間=4.208キロになっています。歩測では6480歩になります。(この歩測長さは身長1.64mの人の不通歩測長さになります。・公民館活動の実験)縄尺は縄伸びする物差しと云われているが、管理の仕方では精度が保障されるとおもうこのころです。歩きながら観察してみませんか
金沢、福井、越前大野の城下町の町割はこの物差しによる方百間の碁盤目の上に正確に行なわれています。江戸期の6.5尺1間の物差しは「道程の間」でフランスの1トワズと同じ長さで、伊能の計算した地球の子午線の長さとフランスの測量長さが略一致している。この謎は使った物差しの長さが偶然一致しているのですが、この物差しを制定したのは検地を始めた織田信長がきめたとおもわれきす。
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